マラソンタイムを左右するトレーニング要素とは
市民ランナーが抱きがちな「距離=速さ」の誤解
多くのランナーは、月間走行距離を増やせばマラソンのタイムが速くなると考えがちです。市民ランナーの間では「月間300km走ればサブ3が狙える」といった指標がしばしば語られます。しかし実際には、同じ距離を走っていてもタイムが向上する人とそうでない人が存在します。その違いを生むのは、単なる距離の総量だけではなく、トレーニングの頻度や1回あたりの距離、さらには走り方の質にある可能性が指摘されています。
科学的データから見た主要な予測因子
これまでの研究でも、マラソンタイムの予測因子としてはVO₂max(最大酸素摂取量)、ランニングエコノミー、乳酸閾値などの生理指標に加え、トレーニング量や頻度といった習慣的要素が重要とされてきました。ただし、それらの要素がどのように組み合わさり、どの条件下で効果を発揮するのかについては十分に明らかになっていませんでした。
本研究の背景と目的
今回取り上げる研究は、月間走行距離、トレーニング頻度、1回あたりの平均距離、最長距離といった複数の要素が、マラソンタイムにどのように相互作用するかを調べたものです。特に、単独の指標だけでなく、それらが組み合わさったときにどのような条件下でタイムに影響を与えるのかが焦点となっています。
研究デザインと対象ランナーの特徴
北海道マラソン参加者を対象とした調査
調査対象となったのは、2017年に開催された北海道マラソンに参加した男性市民ランナー587名です。この大会は真夏に行われるため条件が厳しく、完走率や走力分布も幅広いことから、市民ランナーの実態を把握するのに適しています。
測定項目とデータ収集方法
事前に質問紙を配布し、年齢、ランニング歴、身長、体重、BMI、月間トレーニング量、トレーニング頻度、1回あたりの平均距離(ARD)、最長距離(LRD)を自己申告で収集しました。結果として494名の完走データが分析対象となりました。
解析の方法
各指標を4〜5段階のサブグループに分類し、それぞれのグループ内で他の指標がマラソンタイムを予測できるかを相関分析によって検討しました。単独の指標ではなく、複数要素の相互作用を重視した点がこの研究の特徴です。
月間走行距離とマラソンタイムの関係
総走行距離が多いほど速いのか
結果として、月間走行距離はマラソンタイムの予測因子としてもっとも強い関連を示しました。ただし、その効果は一様ではなく、1回あたりの距離や最長距離が一定水準を超えた場合にのみ顕著に現れることが分かりました。
効果が現れる閾値
具体的には、1回あたりの平均距離が10km以上、または最長距離が21km以上の場合において、月間走行距離とマラソンタイムとの間に有意な負の相関(距離が多いほどタイムが速い)が認められました。一方で、それ未満の距離設定では月間走行距離の多寡はタイムにほとんど影響を与えませんでした。
トレーニング頻度が果たす役割
週2回以下の低頻度ランナーの特徴
トレーニング頻度が週2回以下のランナーでは、1回あたりの平均距離とマラソンタイムの間に有意な関係が認められませんでした。つまり、頻度が極端に少ない場合、1回の距離を伸ばしてもタイム短縮にはつながりにくい可能性が示唆されます。
頻度が高いランナーで見える傾向
週3回以上の頻度を確保しているランナーでは、月間走行距離や1回あたりの距離、最長距離とマラソンタイムの間に有意な関連がみられました。頻度の確保によって、走行距離の総量が効果的に活かされると考えられます。
バランスの重要性
単純に距離を伸ばすだけでも、頻度を高めるだけでも不十分であり、両者をバランスよく組み合わせることがパフォーマンス向上につながります。研究は、この「頻度と距離のかけ合わせ」の重要性を明示した点で意義が大きいです。
1回あたりの平均距離・最長距離の意義
平均10km・最長21kmのラインが示す意味
研究では、平均距離が10km以上、最長距離が21km以上というラインを境に、総距離の効果が顕著になることが明らかになりました。これは、ランニング生理学における「持久力適応」の観点と整合します。
生理学的背景
10km以上の連続走では有酸素系エネルギー供給が優位となり、筋線維や毛細血管の適応、脂質代謝能力の向上といった持久的変化が促進されます。また、21km以上のロングランは筋持久力と精神的耐性の強化に寄与し、マラソン後半の失速防止に直結します。
データから読み解く最適なトレーニング戦略
月間距離だけでは不十分な理由
月間走行距離が多いランナーでも、1回あたりの距離が短いと効果が限定的であることが示されました。頻度と1回距離の双方が一定以上でなければ、総距離が持つ潜在的な効果を引き出せません。
三要素の組み合わせ
- 月間走行距離の目安:200〜300km
- 頻度:週3〜5回
- 1回あたり平均距離:10km以上
- 最長距離:21〜30km
この条件を満たすことで、距離・頻度・1回距離の相互作用を活かし、効率的なタイム改善が期待できます。
市民ランナーが取り入れやすい練習例
- 平日:10〜12kmのジョグを週2〜3回
- 週末:21km以上のロングランを1回
- 月間合計:220〜250kmを目標に設定
これにより、研究で示された閾値を自然に満たしながら距離を積むことが可能になります。
ランナーのタイプ別アプローチ
初心者ランナー
月間100〜150km程度から始め、まずは1回あたりの距離を10km前後に伸ばすことを優先します。頻度よりも1回の走りの質を確保し、身体への適応を待ちながら徐々に頻度を増やします。
中級〜上級ランナー
すでに週3回以上走っている層では、最長距離を21km以上に設定し、ロングランの質を高めることが次のステップとなります。ペース走やビルドアップ走を組み合わせることで、同距離でもよりレースに近い負荷を得られます。
年齢や生活環境を踏まえた個別化
仕事や家庭の制約が大きいランナーは、頻度を減らして1回距離を伸ばすか、逆に頻度を高めて1回距離を短縮するか、状況に応じた柔軟な調整が求められます。
この研究が示す新たな示唆と注意点
先行研究との違い
従来は月間走行距離の多寡のみが注目されがちでしたが、本研究は「距離・頻度・1回距離」の三要素が相互に作用することを明示した点が新しいです。
自己申告データの限界
データは自己申告であり、GPSや心拍計による客観的測定ではありません。そのため、走行距離や頻度の誤差が存在する可能性は否定できません。
実践への応用
それでも、明確な閾値(平均距離10km、最長距離21km)と月間距離の相互作用を提示したことは、市民ランナーのトレーニング設計に大きなヒントを与えます。
まとめと今後の活用
- 月間走行距離はマラソンタイムの予測因子として有効ですが、それ単独では不十分です
- 1回あたりの平均距離10km、最長距離21kmという閾値を超えることで、距離の効果が最大化されます
- 頻度が週3回以上あることも重要な条件です
- これら三要素を組み合わせることで、より効率的にタイム短縮が狙えます
自身のトレーニングを振り返り、月間距離だけでなく頻度や1回距離のバランスも見直すことが、次のレベルアップにつながります。
参考文献
- Interactions between monthly training volume, frequency and running distance per workout on marathon time

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