マラソン中の栄養補給でタイムが11分縮まる? ― 30kmの壁を破る科学戦略

目次

マラソンと栄養戦略の重要性

市民ランナーが直面するエネルギー課題

マラソンは42.195kmという長距離を走るため、体内のエネルギーを効率的に管理することが求められます。特にエネルギー源となるグリコーゲン(筋肉や肝臓に蓄えられた糖質)は、運動強度にもよりますが2〜3時間程度で枯渇するとされ、いわゆる「30kmの壁」と呼ばれる失速の原因になります。これを防ぐためにレース中の栄養補給が不可欠ですが、摂取量やタイミングを誤ると胃腸トラブルやパフォーマンス低下を招くことも少なくありません。

補給戦略の成否がタイムに直結する理由

マラソンの後半で走力を維持するためには、血糖値の安定と脱水予防が鍵となります。エネルギー切れや水分不足は単に疲労感を増すだけでなく、筋肉の収縮効率や神経系の働きにも影響します。そのため、適切な補給戦略はトップ選手だけでなく市民ランナーにとっても重要なパフォーマンス要素となります。


研究の概要と目的

自由補給と科学的補給の比較

今回紹介する研究は、デンマーク・オールボー大学の研究チームが行ったもので、2013年コペンハーゲンマラソンに出場する非エリートランナー28名を対象としました。目的は、科学的根拠に基づいた栄養戦略が自由補給に比べてマラソン完走タイムを改善できるかを検証することにあります。

対象者の特徴と研究デザイン

参加者は7週間前に10kmタイムトライアルを実施し、その記録をもとに能力の近いペアを作成。それぞれのペアからランダムに2群へ分けました。自由選択群(FRE)は補給内容・量・タイミングを自由に決定し、科学的戦略群(SCI)は決められた補給計画に従って走りました。対象者は非エリート層で、10kmタイムは約45分前後、年齢は30〜40代、平均体重は75kg前後でした。


科学的栄養戦略の具体内容

1時間あたりの摂取目標量

科学的戦略群がレース中に実践した補給は以下の通りです。

  • 水分:0.75リットル
  • 炭水化物:60グラム(マルトデキストリン+グルコース)
  • ナトリウム:0.06グラム
  • カフェイン:0.09グラム

炭水化物60グラムは、ジェル2〜3個に相当します。これを1時間ごとに摂取することで、血糖値を安定させ、筋グリコーゲンの枯渇を防ぐ狙いがあります。ナトリウムは発汗による塩分喪失の補填、カフェインは中枢神経への刺激による疲労感の軽減を目的としています。

自由選択群との違い

自由選択群では、摂取量やタイミングが各自の判断に委ねられ、結果として炭水化物や水分の摂取量が推奨値を下回るケースが多く見られました。この差がパフォーマンス結果に直結することが、研究結果で明らかになります。


研究結果:タイムの変化と統計的差異

10km基準タイムでの均一性

両群の10kmタイムはほぼ同等で、自由選択群45分40秒、科学的戦略群45分44秒と統計的に有意差はありません。スタート時点での走力に差がなかったため、マラソン本番でのタイム差は補給戦略による影響と考えられます。

マラソン完走タイムの比較

  • 自由選択群:3時間49分26秒(±25分5秒)
  • 科学的戦略群:3時間38分31秒(±24分54秒)

両群の平均差は約10分55秒で、統計的にも有意(p = .010, 効果量 −0.43)でした。タイム改善率はおよそ4.7%に相当します。


胃腸トラブルと安全性

症状発生の傾向

科学的戦略群は高炭水化物・カフェイン摂取を行ったにもかかわらず、消化器症状の平均スコアは自由選択群と差がなく、軽度の範囲にとどまりました。ただし、個別には重度の胃腸不快感を訴えるケースもあり、個人差の大きさが示唆されました。

胃腸トラブルを防ぐポイント

炭水化物60グラム/時は初心者には多めに感じられますが、事前に練習段階から摂取を試すことで胃腸の適応が期待できます。これを「胃腸トレーニング」と呼び、近年のマラソン栄養戦略では重要視されています。


データが示す意味と解釈

炭水化物摂取量の寄与

タイム短縮の最大要因は、炭水化物摂取量の差にあると考えられます。自由選択群は推奨量より少なく、後半にエネルギー切れを起こした可能性が高い一方、科学的戦略群は安定してエネルギーを供給できたことがパフォーマンス改善につながりました。

カフェインとナトリウムの役割

カフェインは疲労感を軽減し集中力を維持する効果が報告されています。またナトリウムは水分保持と電解質バランス維持に寄与し、痙攣予防やパフォーマンス維持に役立ちます。これらの成分を計画的に摂取した点も、自由補給との差別化要因といえます。


他研究との比較と独自性

ラボ試験と実レース研究の違い

従来の研究は室内トレッドミルや固定条件下での試験が多く、実際のレース環境では気象条件や補給ポイントの配置など変数が多くなります。本研究は実際の大会(コペンハーゲンマラソン)で行われた点が特徴であり、現場応用性の高いデータを提供しています。

市民ランナーへの適用可能性

エリートだけでなく、市民ランナーの現実的な補給行動を踏まえた介入研究である点が実践的です。自由補給では炭水化物量が不足する傾向が明らかになり、多くの市民ランナーが同様の課題を抱えていることが示唆されます。


実践への応用方法

レース前の準備段階

  • 補給計画をレース前に明文化し、ジェルやドリンクの摂取タイミングを事前に決めておく
  • 練習時からジェル摂取を試し、胃腸への耐性を高める
  • カフェイン摂取は慣れの有無や個人反応を確認した上で使用する

レース当日の実践フロー

  • スタート30分前に炭水化物を摂取し血糖値を安定させる
  • レース中は1時間ごとにジェルを補給し、給水所で水分を確保する
  • 高温環境では水分量を増やし、ナトリウム補給も意識する

個人差への対応

  • 体重や発汗量によって必要水分・電解質は変動する
  • 胃腸トラブルが出やすい人は一度の摂取量を減らし、回数を増やして対応する

本研究の限界と今後の課題

  • サンプル数が28名と少なく、統計的な一般化には限界がある
  • 対象は非エリートランナーであり、エリート層や初心者層に適用するには追加研究が必要
  • 単一大会・単一環境(気温・コース)での検証であり、他条件での再現性は未検証

まとめ

科学的根拠に基づくマラソン栄養戦略は、自由補給に比べて平均約11分、4.7%のタイム短縮につながることが実証されました。特に炭水化物摂取量の確保が後半の失速防止に寄与しており、ナトリウムやカフェインの組み合わせも有効と考えられます。市民ランナーがこの戦略を活用するためには、練習段階からの補給慣れとレース当日の計画的な実践が不可欠です。


参考文献

  • Improved Marathon Performance by In‑Race Nutritional Strategy Intervention
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