走力維持はクロストレだけで代替できるのか
ランニング特異性というテーマ
長距離ランナーのパフォーマンスを決める要素として、最大酸素摂取量(VO2max)、乳酸閾値、ランニングエコノミーはよく知られています。VO2maxは「どれだけ酸素を運べるか」、乳酸閾値は「どの強度まで乳酸がたまりすぎずに粘れるか」、ランニングエコノミーは「同じペースで走るときにどれだけ少ない酸素で済むか」を表す指標です。
一方で、現実のランナーにとって常に問題になるのが、怪我や疲労、オフシーズンなどで「走る量をどこまで減らしてよいのか」という問いです。走れない期間にサイクリングやエリプティカル(クロストレーナー)で代用することは一般的ですが、心肺機能だけでなく「実際のレースタイム」がどこまで守られるのかは、感覚や経験に頼って判断されていることが多いです。
この記事で扱うのは、まさにこの問いに正面から取り組んだ研究です。
対象となる論文は、David M. Honea による修士論文
The Impact of Replacing Run Training with Cross-Training on Performance of Trained Runners
です。
この研究は、高校〜大学レベルの競技ランナーを対象に、「5週間、ランニングを完全にやめてクロストレーニングだけにしたら、3,000mの記録や生理学的指標はどう変わるのか」を検証しています。VO2maxや乳酸閾値といった数字だけでなく、実際のタイムトライアルの結果まで追っている点が特徴です。
走らない5週間が投げかける現実的な問い
ランナーにとって、「走らずにいたら遅くなる」のは直感的には分かっています。それでも、怪我明けやオフシーズンには、ある程度の期間をクロストレーニングに頼らざるを得ない場面があります。
そこで気になるのは、次のような点です。
- どのくらい走らなくても、心肺機能は維持できるのか
- ランニングの代わりにクロストレーニングをしていれば、どの程度までレースペースを守れるのか
- エリプティカルとバイクのように、クロストレーニングの種類で影響は変わるのか
この論文は、5週間という具体的な期間で「完全に走らない」条件を設定することで、クロストレーニングに何ができて、何ができないのかをかなり明確にしています。この記事では、その設計と結果を丁寧に追いながら、「走力維持とクロストレの現実」を考えていきます。
5週間の介入で何が変わったのか
まず結論として押さえておきたいポイント
この研究の結果を、細かい数字に入る前に整理すると、次のようになります。
- エリプティカル群・バイク群ともに、3,000mタイムは平均で約40〜50秒遅くなった
- ランニングを続けた群は、3,000mタイムがわずかに速くなった(約10秒短縮)が、有意差はつかなかった
- VO2maxと乳酸閾値は、どの群も有意な変化はなく、おおむね維持された
- 一方で、速いサブマキシマルペースでのランニングエコノミーは、特にバイク群で悪化した
つまり、心肺能力としての「最大値」はあまり落ちていないにもかかわらず、実際の3,000mタイムはクロストレーニング群で顕著に悪化した、という結果です。走るための「エンジン」は残っているものの、「そのエンジンを使って効率よく走る技術的・特異的な能力」が落ちてしまった、という解釈が自然です。
この記事で深掘りしていく論点
この記事では、この結論をもう少し解像度高く理解するために、次の点を掘り下げます。
- どのような対象者が、どのようなトレーニングを5週間行ったのか
- 3,000mタイム、VO2max、ランニングエコノミー、乳酸応答、歩幅、体脂肪率など、各指標がどう変わったのか
- なぜ「VO2maxは維持されるのにタイムは悪化する」のか
- この結果から、怪我期やオフ期のクロストレーニングをどのように設計すべきか
以下では、まず研究デザインを整理したうえで、結果を定量的に追い、その意味を考えていきます。
どのような対象と方法で検証されたのか
対象ランナーの特徴
研究の対象となったのは、高校〜発展途上大学レベルのクロスカントリーランナー27名です。男女混合の競技者で、日常的にトレーニングを行っている「訓練されたランナー」にあたります。
グループ分けは以下の3つでした。
- エリプティカル群(ET):男性6名、女性4名
- バイク群(SB):男性6名、女性1名
- ランニング継続群(RUN):男性6名、女性3名
走力レベルを示す指標として、5kmの自己ベストタイムが報告されています。
- エリプティカル群:1240 ± 27秒(約20分40秒)
- バイク群:1212 ± 42秒(約20分12秒)
- ランニング群:1147 ± 41秒(約19分7秒)
いずれも市民ランナーとしてはかなり走れるレベルですが、世界トップではなく、高校〜大学レベルの競技者と考えるとイメージしやすいと思います。
体格については、身長およそ1.67〜1.72m、体重57〜63kg程度、体脂肪率は10%前後と報告されており、典型的な細身の中・長距離ランナーの体型です。
5週間のトレーニング内容
介入期間は5週間です。この間のトレーニングは次のように設計されました。
- 週4〜6日、1回あたり45〜60分のトレーニング
- そのうち1日は乳酸閾値レベルの長めのインターバル
- もう1日は10秒スプリントのような高強度のスピード刺激
- 残りの日はシーズン中の距離走に相当する有酸素的な連続運動
ここで重要なのは、エリプティカル群とバイク群では、これらすべてをランニングではなく、それぞれのマシンで実施したという点です。つまり、
- エリプティカル群:全てのトレーニングをエリプティカルで実施
- バイク群:全てのトレーニングをステーショナリーバイクで実施
- ランニング群:通常のランニングトレーニングを継続
という、かなり極端な「完全置換」の設計になっています。
測定された指標
介入前と介入後で、以下の指標が測定されています。
- 3,000mタイムトライアル(実際の走パフォーマンス)
- VO2max(トレッドミル走による最大酸素摂取量)
- 乳酸閾値(どの運動強度で血中乳酸が急増し始めるか)
- ランニングエコノミー(サブマキシマルペースでの酸素消費量)
- 歩幅(ストライド長)
- 乳酸濃度の変化(段階的負荷に対する反応)
- 体脂肪率や体重
ランニングエコノミーは、5kmレースペースの75%〜レースペースに近い強度まで、いくつかのステージで測定されています。これにより、ゆっくりめのペースとレースに近いペースでのエコノミーがどう変わるかも評価されています。
3,000mタイムと生理学的指標の変化
3,000mタイムの変化
もっとも分かりやすいアウトカムである3,000mタイムの変化は以下の通りです(Post − Pre)。
- エリプティカル群:+47.7 ± 11.3秒(平均で約48秒遅くなった)
- バイク群:+42.7 ± 6.3秒(平均で約43秒遅くなった)
- ランニング群:−9.4 ± 8.3秒(約9秒速くなったが、有意ではない)
エリプティカル群とバイク群では、いずれも統計的に有意なタイムの悪化が認められています。5週間完全に走らず、クロストレーニングだけで過ごした結果、3,000mで約40〜50秒の遅れが生じたということになります。
一方、ランニングを続けた群では、平均して約10秒のタイム短縮がありましたが、ばらつきが大きく有意差はついていません。それでも、方向性としては「やや良くなる」か「ほぼ維持」と言える範囲です。
VO2maxと乳酸閾値の変化
VO2maxについては、3群とも有意な変化は認められていません。
- エリプティカル群:+0.8 ± 0.9 ml/kg/min
- バイク群:−0.6 ± 1.3 ml/kg/min
- ランニング群:−0.2 ± 0.6 ml/kg/min
いずれも変動幅は小さく、統計的には「ほぼ維持」と言える結果です。乳酸閾値も同様に、有意な変化は見られていません。
この結果から、5週間というスパンであれば、ランニングを完全にクロストレーニングに置き換えても、心肺能力の「最大値」や乳酸閾値レベルはそれほど落ちないと解釈できます。
ランニングエコノミーの変化
一方で、ランニングエコノミーの変化は特徴的です。特に、レースペースに近い速いステージ(ステージ3)において、バイク群で有意な悪化が報告されています。
- バイク群:ステージ3でVO2が平均1.5 ± 0.6 ml/kg/min増加(エコノミー悪化)
- エリプティカル群・ランニング群でも増加傾向はあるものの、バイク群ほどではない
VO2が増えるということは、同じペースで走るのにより多くの酸素が必要になっている、つまり燃費が悪くなっていることを意味します。これは、3,000mのようなレースに近い強度の走行では、パフォーマンスに直結しやすい変化です。
歩幅・乳酸反応・体脂肪率の変化
歩幅については、ランニング群とバイク群でステージ1において有意な増加が見られましたが、エリプティカル群では変化が小さめでした。とはいえ、歩幅の変化とエコノミーやタイム変化の間に強い相関は確認されていません。
乳酸反応はステージによって増減があり、クロストレーニング群で高強度ステージの乳酸濃度が増える傾向もありますが、こちらもパフォーマンスとの直接の因果関係は明確ではありません。
体脂肪率は全体的にやや増加しています。
- バイク群:+1.9 ± 0.5%(有意)
- エリプティカル群:+1.0 ± 0.4%
- ランニング群:+0.8 ± 0.5%
ただし、体重やBMIは大きく変わっておらず、体脂肪率の変化だけで3,000mタイムの悪化を説明するのは難しいです。
なぜ「走力」は維持できなかったのか
ランニング特異的な適応の喪失
この研究から見えてくるのは、「心肺機能は維持できても、ランニング特異的な能力は失われる」という構図です。
ランニングという動きには、地面からの反発を利用するストレッチ・ショートニング・サイクル(SSC)、着地から蹴り出しまでのリズム、接地時間や上下動など、特有の運動様式があります。これらは、単に心拍数を上げるだけでは養われません。
エリプティカルやバイクは、心拍数や酸素摂取量という意味では高い負荷をかけられますが、
- 片脚支持での荷重
- 地面反力を受け止めてから前方推進に変える動き
- ランニング特有のバランス・協調
といった要素は大きく異なります。
5週間の完全置換は、こうした「ランナーとしての動き」の神経筋レベルの適応を弱めてしまったと考えられます。その結果、VO2maxが維持されていても、レースペースでのエコノミーが悪化し、3,000mのタイムに跳ね返ったと解釈できます。
VO2max・乳酸閾値が維持された理由
一方で、VO2maxや乳酸閾値が維持されたことは、クロストレーニングのポジティブな側面を示しています。
5週間にわたり週4〜6回、45〜60分の中〜高強度の有酸素運動を継続していれば、心肺機能に対する刺激としては十分です。エリプティカルもバイクも、大筋群を動員して高い心拍数を維持できるため、循環器系の適応は保たれます。
つまり、「心肺能力を守る」という意味では、クロストレーニングは有効な手段です。ただし、「その心肺能力を使って速く走る」というスキルや特異性は守れない、という線引きが必要になります。
エコノミー悪化とパフォーマンス低下のつながり
ランニングエコノミーが悪化すると、同じペースを維持するために、より高い割合のVO2maxを使うことになります。例えば、
- 以前は3,000mレースペースがVO2maxの85%で走れていたのが、
- エコノミー悪化後には同じペースで90〜92%を使わないと維持できない
といった変化が起こり得ます。そうなると、相対的な負荷が上がるため、後半の失速や全体のタイム悪化につながりやすくなります。
この研究では、VO2max自体は変わっていないにもかかわらず、タイムが大きく悪化したことから、エコノミーの変化がパフォーマンス低下の重要な要因の一つと考えるのが自然です。
研究の限界と解釈の注意点
研究条件が現実と異なる部分
この研究には、解釈の際に押さえておくべき限界があります。
- 介入期間が5週間と比較的短い
- 対象が高校〜大学レベルの若いランナーに限られている
- 完全にランニングをゼロにするという設定は、実務的にはかなり極端
- 各群のサンプルサイズが小さく、特にバイク群の女性は1名のみ
現実の怪我対応やオフシーズンでは、「一切走らない」というよりも「痛みの出ない範囲で少しだけ走る」ことが多いはずです。部分的なランニング併用であれば、ここまで大きなパフォーマンス低下が起こらない可能性もあります。
また、コントロール群(ランニング群)は、元々の5km自己ベストが他群よりやや速く、経験も豊富だった可能性があり、群間の初期条件が完全に揃っているわけではありません。この点も、結果の一般化には注意が必要です。
相関と因果を取り違えないために
この研究では、
- クロストレーニング群で3,000mが遅くなった
- 同時にエコノミーが悪化した
という「同時に起こった変化」が示されています。しかし、「クロストレーニングがエコノミーを悪化させ、そのせいでタイムが落ちた」と断定することには慎重さが必要です。
考えられる別の要因として、例えば次のようなものがあります。
- ランニング動作そのものを行わないことで、技術的な感覚が鈍った
- モチベーションやトライアル時のメンタルが変化した
- 体脂肪率の増加がわずかに影響した
- トレーニング強度の実際が、設計よりも低くなっていた可能性
これらは、エコノミーの変化と並行してタイムに影響しているかもしれません。したがって、「クロストレーニング=悪」と単純に結論づけるのではなく、「完全置換した結果、複数の要因が重なってタイムが悪化した」と捉える方が妥当です。
想定される反対意見への整理
想定される反対意見として、例えば以下のようなものがあります。
- クロストレーニングの強度が足りていなかったのではないか
- 5週間という短期間では、そもそもパフォーマンス変化を語れないのではないか
- バイクやエリプティカルのフォームが慣れていなかったのではないか
これらは一定の妥当性がありますが、この研究は少なくとも「適切な心拍・主観的強度で週4〜6回のトレーニングを継続した上でも、ランニングを完全にやめるとタイムが落ちる可能性が高い」という点を示しています。強度や期間の違いで結果が変わる余地はありつつも、「完全置換はリスクがある」という方向性自体は覆りにくいと考えられます。
実務的なトレーニングへの応用
怪我やオフ期にクロストレをどう使うか
この研究から得られる実務的な示唆は、クロストレーニングの役割をはっきり整理することです。
- VO2maxや乳酸閾値など心肺機能を「守る」ためには、クロストレーニングは有効
- しかし、レースタイムという意味での「走力」を守るには、ランニング特異的な刺激が必要
怪我などで走れない時期には、エリプティカルやバイクで心肺への負荷を維持しつつ、可能ならば痛みの出ない範囲で短いジョグやドリルを挟み込むことが有効です。完全にゼロにするのではなく、「動きの記憶」を残すイメージです。
ランニング特異性を残す設計
実際のトレーニングデザインとしては、例えば次のような組み立てが考えられます。
- 週のうち2〜3日はクロストレーニングでボリュームと心肺負荷を確保
- 週1〜2回は、ごく短いジョグや流し、フォームドリルなどでランニング特異的な刺激を入れる
- 痛みの強さや怪我の状態に応じて、ランニングの比率を段階的に増やしていく
これにより、心肺能力を落とさずに、エコノミーや技術的な要素を最低限維持することが期待できます。
シーズン計画への位置づけ
オフシーズンやレース後のリカバリー期にも、クロストレーニングは有効です。ただし、研究結果を踏まえると、
- 完全な非ランニング期間は必要最小限にとどめる
- オフシーズンでも「走る頻度」は週1〜2回程度は残す
- レース期に戻る前に、ランニングボリュームとスピードを徐々に戻す「移行期間」を設ける
といった設計が重要になります。特に、いきなりクロストレ中心の期間からスピード練習に戻すと、パフォーマンスだけでなく怪我リスクも高まるため注意が必要です。
記事全体のまとめ
研究が伝えている核心
この研究のメッセージを一言でまとめると、
- 心肺機能はクロストレで守れるが、3,000mの走力はクロストレだけでは守れない
ということになります。5週間の完全置換で、3,000mは約40〜50秒遅くなりました。一方で、VO2maxや乳酸閾値はほぼ維持されていました。
このギャップが示しているのは、ランナーにとっての「強さ」とは、単なる心肺能力ではなく、ランニング特異的な神経筋適応やエコノミーを含んだ総合的な能力だということです。
読者へのメッセージ
怪我や仕事の都合などで、思うように走れない時期は誰にでもあります。そのときにクロストレーニングは、心肺能力を守る意味で非常に心強い手段です。ただし、「クロストレさえしていれば走力は落ちない」と考えてしまうと、現実とのギャップに苦しむ可能性があります。
大切なのは、
- 何を守れて、何が失われやすいのかを知ること
- 自分のコンディションと目標時期に合わせて、クロストレとランニングの割合を設計すること
です。科学的な知見を理解したうえで、自分の練習を主体的に組み立てていくことが、長期的なパフォーマンス向上と怪我予防の両立につながると考えます。
用語解説
- VO2max
最大酸素摂取量のことです。1分あたりに体重1kgあたりどれだけ酸素を取り込んで使えるかを示す指標で、持久系競技の「エンジンの大きさ」を表すイメージです。 - 乳酸閾値(lactate threshold)
運動強度を徐々に上げていったときに、血中乳酸濃度が急に増え始めるポイントです。この強度より下なら長く粘れますが、上に行くほど疲労が早くたまります。マラソンや長距離走のパフォーマンスと強く関係します。 - ランニングエコノミー(running economy)
一定のペースで走るときに必要な酸素消費量を指します。少ない酸素で同じペースを維持できるほど「省エネで走れている」といえます。同じVO2maxでも、エコノミーが良いランナーの方がタイムは速くなりやすいです。 - ストレッチ・ショートニング・サイクル(SSC)
筋肉や腱が一度伸ばされてからすぐに縮む一連の動きのことです。着地から蹴り出しまでのランニング動作に強く関係し、地面反力を効率よく推進力に変える役割を持ちます。 - クロストレーニング(cross-training)
本来の競技とは異なる運動モードを用いたトレーニングのことです。ランナーの場合、サイクリング、エリプティカル、スイムなどが代表的です。心肺負荷は保ちつつ、特定の部位の負担を軽くする目的で用いられます。
参考文献
The Impact of Replacing Run Training with Cross-Training on Performance of Trained Runners
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